グロシーンを見た後のお花キレイ。
おはようございます。ムカムカするので吐き出し。
オピニオン記事ヤダ!しばらく書かない!といった後の一発目がこれですよ。自分の発言の適当さにビックリします。
昨晩旦那に見せらせた動画に思うところがありました。以下独り言です。
その問題動画と言うのが、海外の「両足切断ドッキリ」
仕掛け人はチェーンソーを持った男と、血のりで真っ赤に染まった元から両足のない障がい者。
駐車場やエレベーターでこの残虐シーンに遭遇したら人々はどうなるか?という大変悪趣味な企画でした。
ただ、ターゲット数名は悲鳴を挙げて逃げまどっていたあたりヤラセっぽいです。いや、ヤラセだと信じたいです。それくらいビジュアル的にヤバい。
私だったらその場で吐いて気絶します。
ターゲットのPTSD発症のリスクを考慮すると、ガチでやってるとは考えにくいです。マジでやってたら企画側はもう人としてヤバイ。てかそもそも私はドッキリが嫌いだ。
胸糞悪いので動画も貼りません。お手数ですが、観たい方はご自身で検索してください。
んで思ったのが「スプラッター映画」の是非。
最初に言うと、表現の自由がある以上「撮るな!」「上映するな!」とは言いません。嫌なら見るな理論で十分収まる話です。実際私は観てませんし。
観てないくせにこのテーマを扱うのはどう考えてもNGだと重々承知しているのですが、私にも表現の自由がある以上問います。
スプラッター映画って必要ですか?
もちろん、扱ってるテーマ上必要なケースもありますが、「残虐シーンが売り」みたいなのはいかがなものか?と思うのです。
だって、すごく大事なメッセージがあったとしても、過激シーンのインパクトで潰されちゃうじゃないですか。
これはただの偏見だけど
制作側には「過激シーン撮っちゃう俺、カッコいい」
視聴者側には「グロ平気な俺、カッコいい」
という意図を感じてしまいます。
ライブにしてもそう。
過激派イスラム組織に首を切断されるシーンの放映
ライブ中の動物の解体
本当に音楽で勝負するなら、そんなパフォーマンス不要じゃないですか?
炎上商法にしても、タチが悪すぎる。
キレイなものだけ見ていたい、というのは私のエゴだ。それは認める。でも、いたずらにそういった表現を用いるのはちょっと違う。映画製作者をはじめ、ブロガー、ミュージシャン、全ての表現者に言いたい。
話題性に頼るな、作品の本質で勝負しろ
と。
以上、旦那への文句をネタに発展させてみました。
おしまい
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